【権力の】伊藤博文・山縣有朋・井上馨【亡者】

1名無しさん@お腹いっぱい。2010-09-29 01:14:30

明治政府を牛耳ったヤツらです

322名無しさん@お腹いっぱい。2012-02-08 00:59:01

>>1 全員松下村塾出身らしいな。

今で言うと松下政経塾出身か。

9名無しさん@お腹いっぱい。2010-10-11 22:45:08

山県は権力と金の亡者

伊藤は女狂いの色キチ

そして両方とも汚かった井上

何が長州の三尊だよ

この三人共人間味があって全然嫌いじゃないけど、真に褒められるべきは清廉潔白の薩摩だろ

10名無しさん@お腹いっぱい。2010-10-11 22:46:25

>>9

>清廉潔白の薩摩

中2病はニコニコ動画でも観てろ

471(・_・)2014-03-29 18:17:54

>>9

>山県は権力と金の亡者

>伊藤は女狂いの色キチ

>そして両方とも汚かった井上

また素晴らしくケッタイナ。

支援して貰ったら、クリーンな政治になって行ったのはなぜ?

私も、ケッタイナ評判を偽造され、宣伝されて来たので解る。

不逞鮮人等は、無ない事無い事、嘘話を構築し大宣伝紙捲るのが大好き。昔から。

関東大震災時に、「関東在住9000〜13000人の朝鮮人」が2万数千人も虐殺されたと、

震災後すぐに各国大使館にパンフレットを送りまくっていた程。

イギリスでは「これでは朝鮮独立の支持は出来ない」と

震災時の不逞鮮人等の放火・強姦・虐殺・強奪等の犯罪とその嘘数字とを見て、

そのタイミングでの独立支持を辞退していたようだし…。

12名無しさん@お腹いっぱい。2010-10-11 23:08:09

>>10

ヘイヘイヘ〜イ

どこが間違ってるんだい?

19名無しさん@お腹いっぱい。2010-10-13 05:05:25

>>12

松方正義と黒田清隆がアップを始めました。

16名無しさん@お腹いっぱい。2010-10-12 19:59:23

山県はイメージ悪いっつっても山城屋事件とか宮中某重大事件とか実際起してるしな

20名無しさん@お腹いっぱい。2010-10-13 15:56:47

>>19

自称清廉潔白な奴らよりその二人の方がよっぽど日本に貢献してるよ

21名無しさん@お腹いっぱい。2010-10-16 20:53:04

>>20

おいおい、論点が思いっきりズレたぞ?w

80名無しさん@お腹いっぱい。2011-01-06 17:15:27

>元老の足の大きさにあった靴

昭和の東北閥が自前で雪靴作っとかないから滑ったんだよ

81名無しさん@お腹いっぱい。2011-01-07 01:07:21

>>80

原敬が靴を作る前に暗殺されたと言うことか

86名無しさん@お腹いっぱい。2011-01-23 22:23:12

あの混沌とした時代にあの寄せ集めを統御できるんだから、何かしらあったんでしょう。

何もなけりゃ他人は掌握できんて。長州藩の顔になる部隊を、しかも中間の出が。

>>81

原は惜しかったな。

85名無しさん@お腹いっぱい。2011-01-21 12:14:24

山縣なんて所詮中間の出だし、奇兵隊があったからこそ出世できたようなもんでしょ。

106名無しさん@お腹いっぱい。2011-03-04 15:14:12

>>85

山縣の評判が悪いね。まあしょうがないけど。

旧幕府軍・奥羽越列藩同盟と対峙した新政府軍・総指揮山縣有朋(陸軍)は、

賊軍(旧幕府軍)に長岡城を奪還されるという大失態を演じている。

その時、薩長同盟で共闘してた薩摩藩は引き返しながらも逃げずに戦ったが

長州藩の指揮・山縣は脱出の準備をして直ぐに逃げた。

で、山縣は薩摩藩から見はなされて進撃を促すも自重を押し付けられた。

で、これを助けたのが海軍で二面作戦を成功させてた山田顕義だった

108名無しさん@お腹いっぱい。2011-03-05 21:10:02

>>106

山縣一目散に逃げ出す、薩摩側は引き返してしばしば応戦する

薩摩の奮闘空しく長岡城奪還

山縣「長岡城を再奪取する」

薩摩「逃げた長州がそれを言うかw」→山縣以外の幹部全員一致で自重決定。

要するに山田が居なかったら自重のままで山縣の失態のままで終わってた。

これを覆したのが山田で先ず海軍の成功した戦況報告をして。

衝背軍上陸、さらに新潟東方水原の賊軍を壊走させ、

南化した進撃隊が阿賀野川を渡った事を幹部に伝える、

その上で陸軍にも長岡城再奪取してほしいと発言し、

薩摩側に反対されたら「長州だけでやる」と山縣と決めていた。

薩摩側が山田の進撃要請の説得に応じたのはこれだな。

「敵軍が新政府軍に攻撃を加える絶好の機会なのに追撃してこない」

「つまり敵軍(河井)に追撃したくても出来ない何かが起こっている」

長岡城下に火を掛けて挑発しても動きが鈍い。

111名無しさん@お腹いっぱい。2011-03-06 08:17:29

>>108

色々間違っている。薩摩藩の兵は長州藩兵の主力とともに、

長岡城ではなくて、米沢藩と別方面で戦闘中なので、

薩摩が長岡で最後まで踏ん張ってというのは正しくない。

というか長州と薩摩の主力が別方面に展開していたのと。

長岡藩が別方面から強行突破して、長岡城には小藩がつめていただけなので、

長岡藩が攻略できただけ。

で、山縣は前線から奇兵隊の一部を呼び戻して長岡の反撃に回したんだが、

別方面は米沢藩の主力が攻撃していたから、薩摩藩までは引き抜けなかった。

また奇襲で混乱していた新政府軍で、奇兵隊などを投入して戦線を維持したのは山縣であるし。

その後退却命令をだして戦線を収縮して、対岸に陣地構築などの指示をだして、

攻勢を防いでいたのは山縣であるし、再奪取の指揮を執ったのも山縣なんだが。

その後追撃して、列藩同盟の軍を崩壊させたのも山縣じゃないか。

ここでは薩摩なんて何もしてないぞ。黒田は山田とともに別働隊として新発田にいたんだし。

155名無しさん@お腹いっぱい。2011-05-08 00:34:27

木戸あたりは「だからこそ教育優先! 国家を担える人民作り!」とか

「議会制導入のためにまず身近な地方議会からやらせて人民を慣れさせ育てよう」

とかいってたんだよなあ…実際その方向で動いていたし。

もうちっと健康であと10年力入れて取り組んでたらあとあと違ったかもな。

162名無しさん@お腹いっぱい。2011-05-23 21:45:26

犬養毅こそが政争のために統帥権干犯問題持ち出してきて

軍部暴走の端緒をつくった権力の亡者だよ

163名無しさん@お腹いっぱい。2011-06-08 05:25:32

>>162

同意

当時の法体系では政党に立脚してる政治家ならば自分自身の基盤を掘り崩しかねない

165名無しさん@お腹いっぱい。2011-06-17 06:55:21

>>162>>163

条約は大権事項で、議会や選挙の焦点にはなりえない。

それを敢えて政争の焦点にして国体問題に火を点けたのが

浜口首相だ。浜口の責任は限りなく重い。

240名無しさん@恐縮です2011-09-18 17:35:21

>>165

美濃部達吉は、

ロンドン軍縮条約の批准は違憲ではないと主張しているが。

目先の政権奪取に捕らわれるあまり、海軍艦隊派と結託して、

その後の軍部が統帥権を好き勝手に解釈して独走する原因を作った

犬養と鳩山は間違いなく最悪の政治家。

183名無しさん@お腹いっぱい。2011-08-15 00:45:47

山県とか見るべきところなんて何もねぇよ

186名無しさん@お腹いっぱい。2011-08-15 09:27:24

>>183

軍部の頭を押さえる重し的な意味はあっただろう。

良くも悪くもあいつが生きてる間は、若手将校が上官の家に乗り込んで

タメ口ききながら酒奢らせてヒャッハーなんてことはなかった。

187名無しさん@お腹いっぱい。2011-08-15 19:51:53

なんだかんだで山縣さんは歴戦のツワモノだからね。

伊藤さんすら高杉魔王の挙兵時、難しいと知りながらも命懸け力士隊と共に参戦した。

188名無しさん@お腹いっぱい。2011-08-15 23:50:54

>>186

まぁ山県は家でも気難しく元帥と呼ばれてたからな

そんな若手のナメた真似絶対許さなかっただろう

>>187

そこが山県の人間的魅力に欠ける由縁だよ

負けるかもしれない場面で真っ先に駆けつけた伊藤とどっちつかずの山県

よく言えば慎重だがただ日和ってるだけの風見鶏じゃねーか

192名無しさん@お腹いっぱい。2011-08-20 14:53:36

山縣の存在は軍と官僚には幸運だったが、国民には災いだった。

193名無しさん@お腹いっぱい。2011-08-20 17:19:17

>>192

それは本当の山縣を知らないアホの考え方。

最近はかなりそれも見直されてきているけどね。

194名無しさん@お腹いっぱい。2011-08-21 00:18:13

>>193

これか。

「悪役」山県有朋、日本近代史で再評価 実は愚直で優しい性格だった……

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「軍国主義」→「現実主義者」山県有朋像に見直しの動き

 明治の元老・山県有朋(やまがた・ありとも)は陸軍創設に関わったことで、戦後、軍国主義の象徴として批判されてきた。だが近年、外交・安全保障の観点から、冒険主義を避けた現実主義者の面に光を当て、山県像を

219名無しさん@お腹いっぱい。2011-09-02 21:10:09

山縣関連の本なら岡義武と伊藤之雄

どっちが面白い??

226名無しさん@お腹いっぱい。2011-09-04 14:22:15

>>219

岡義武に1票

他の人も書いてるけど文章が良いっていうのが一番の理由。

古い本だから初めて知るような話は載っていないんだけどねw

262名無しさん@お腹いっぱい。2011-10-26 00:26:10

今日は伊藤博文の命日。

284名無しさん@お腹いっぱい。2011-11-27 02:57:53

伊藤の弟子の西園寺、その弟子の牧野そしてその弟子の吉田。

明治から大正、昭和にかけてその政治思想が受け継がれているのが面白いよな

285名無しさん@お腹いっぱい。2011-11-27 04:30:03

>>284

伊藤と西園寺はそれほど関係強くないだろ

政友会系の政治家で言えば

伊藤-睦・星-原-鳩山

明治元勲華族・その血縁系

西園寺-近衛・牧野・木戸-吉田

近衛や木戸を政友会系とするのは違和感あるが、西園寺が伊藤の弟子っていう見方よりはマシかなと。

286名無しさん@お腹いっぱい。2011-11-27 05:44:33

>>285

西園寺って伊藤に見出されて出世したと思ってたけど違うのか?

まぁある程度wikiの情報だから、信用ならんのかもしれんが。

まぁそうなると伊藤が育成した有能な政治家ってもしかしていないの?

原はほとんど伊藤の弟子とは言えないし、

星とか鳩山とか政治家のくずしかいないじゃん。

人を育てる面では伊藤はダメだったのかな

287名無しさん@お腹いっぱい。2011-11-27 23:14:24

>>286

園公が伊藤に見出されたのは間違ってない

てか維新時既に大村が目をかけてた

288名無しさん@お腹いっぱい。2011-11-27 23:18:35

>>286

伊藤が見出だしたってのは大袈裟な感じかな。

確か近衛のパパに期待してたけど日露戦争前後に山縣系の人脈に取り込まれてしまったので、代わりに西園寺。

後進の育成って言ってもマニュアル的なモノで事務的に伝えられる部分は限られてるから、政治家として最も重要な状況把握と状況判断という資質は先天的な要因が大きくなってしまうしな。

大正期に官僚から政治家になった総理ばかりになるのは、高級官僚になってそういう資質を養う機会が豊富にあるのが官僚だったって事なんだろうし。

星や鳩山が政治家として優れていたかどうかは怪しいけど、時流を見る目や判断をする覚悟はあったと思う。

少なくともただのボンクラではなかったからこそ彼らの名前は残ってる訳で。

まあ、何だか良く分からんレスになったが気にするな。

289名無しさん@お腹いっぱい。2011-11-28 01:04:22

>>286

>>287

まぁ、戊辰戦争の時の言動で岩倉具視の注目を引いたわけだから、

そういう意味では、非山縣系で元老世代の次の世代を担うという意味で

伊藤の「引き」はあったのかもしれない。

324名無しさん@お腹いっぱい。2012-02-09 12:55:07

>>322

井上は松下村塾出身じゃないよ、松陰とも全く面識無いはず

村塾出身者とよくつるんでるから勘違いされやすいんだな

350名無しさん@お腹いっぱい。2012-05-17 23:40:12

傲岸不遜で陰険だから嫌われるんだよな

やっぱ人間最後は人柄だよ人柄

351名無しさん@お腹いっぱい。2012-05-18 04:10:41

>>350

誰の事?

もし山縣のことだったらちょっと違うと思う

陰性だが人の面倒見はよく煙たがれたかもしれないが嫌われるとまでは・・・

358名無しさん@お腹いっぱい。2012-05-19 23:37:56

>>351

原敬「山縣は卑しい」

山縣が死んで・・・

石橋湛山「死もまた、社会奉仕」

362名無しさん@お腹いっぱい。2012-05-20 21:42:17

>>358

山県なんて死んだ方が社会の為だってか?

石橋ヒドスwwww

368名無しさん@お腹いっぱい。2012-05-24 11:43:43

でも昭和天皇は山縣を評価してたんだよね

370名無しさん@お腹いっぱい。2012-05-25 00:14:29

>>368

明治大帝、特に大正天皇には蛇蝎の如く嫌われていた

396名無しさん@お腹いっぱい。2012-07-04 21:27:51

>>370

おとなしく元老の腹話術人形やってりゃ良かった明治・大正と、

臣民の暴走で途方もない汚名と命の危険をふっかけられた昭和とでは、

同じ天皇の言葉でもその重みは全然違うだろう。

399名無しさん@お腹いっぱい。2012-07-12 22:48:33

>>396

それを二十歳前後から強いられたのだから、常人には分からないものがあったのだろう

406名無しさん@お腹いっぱい。2012-08-17 23:49:27

高杉が見舞に行った1ヶ月後、11月末には家の中なら歩けるぐらいに回復してた

ただし親戚預かりってことで自宅軟禁状態

親族に迷惑がかからないように、

1月10日ごろ自宅襲撃して連れ出して鴻城軍の頭に据えた

425名無しさん@お腹いっぱい。2013-09-05 12:13:09

伊藤ってよく書かれるけど、遠くからは尊敬される存在だけど

熱心な腹心って居ないよね

伊東巳代治は山縣の方に行ってしまったし、末松謙澄も伊藤派と言うより高橋是清の親友って

感じだし、井上毅も割と伊藤の手から離れてた。西園寺も山縣とどっち付かずな部分がある。

426名無しさん@お腹いっぱい。2013-09-13 10:43:11

>>425

政友会総裁になるなど自分から動く人間に手下はいらんのだろう。

430名無しさん@お腹いっぱい。2013-09-23 10:58:23

単純に教祖様性質か否かかの差かと。

伊藤や木戸は決して面倒見も悪くないし親しみ易くて人望も有るけど

人を虜にして信者つくる教祖様タイプでは無いと思うよ。

伊藤の場合は既存の教団に上手く乗っかって活動してる印象だな。

青年時代は吉田松陰教の熱狂的信者さんに混じり込み活動し

晩年は陸奥宗光教の熱狂的信者さんに混じり込んで活動してたイメージ。

伊藤は混じらなかったが西郷(兄)も教祖様性質だと思う。

431名無しさん@お腹いっぱい。2013-09-23 22:23:40

>>430

まぁ陸奥教に関しては正直、陸奥が生きてたらあそこまで熱狂的宗派が出来たか怪しいんだよな。

原敬は性格悪いから陸奥に熱狂的人気があることを知って日記を書いてた節もあるし

その陸奥が行う政策は大衆が喜ぶような政策じゃなくてリアリズムなものだし、

陸奥自身晩年は伊藤に報告する前に政党に近づき伊藤に冷遇されるように

根回しの足りない所はあったように思えるから、今以上にもっと評価は低かったかも

432名無しさん@お腹いっぱい。2013-09-23 23:41:10

>>431

原の陸奥信仰についてはガチだと思われ。

なんせ死後に自宅から陸奥人形が発見されてるし気持ち悪さだし。

あと伊藤は別に陸奥冷遇してないよ。

というより裏切り発覚したの陸奥が死床入りした後なので

例え伊藤が陸奥を冷遇したくても、冷遇するチャンスがない罠。

433名無しさん@お腹いっぱい。2013-09-24 02:00:45

>>432

冷遇って書き方が悪かったか。陸奥に伊藤から「政党人と交流したって聞いたけど嘘だろ?嘘と言ってくれ」と

書いた手紙が届いているのでホントだと思われる。

たぶん計画をいち早く知ってた西園寺経由で伊藤に伝わったんじゃないかな。

あれだけ交流していた伊藤がその後、陸奥との交流(主に手紙を送った形跡が見られないってことだけど)を

遮断しちゃっているので冷遇とはそういう意味で言った。

あと陸奥君人形って何だwww

434名無しさん@お腹いっぱい。2013-09-24 19:49:52

>>433

そらあれは完全な事後報告だから伊藤のショックは当前かと。

実は最初から自由党側の仲間で、伊藤が知った時には自由党の次期総裁が陸奥に内定しとるとかワロタ。

でもそんな酷い事しつつも実は陸奥さん伊藤が大好きだけどな。まさにツンデレの鏡。

原の陸奥人形は読んでそのままだよ。

原の死後自宅から石膏製の陸奥が見つかった。

用途不明。多分特注品。中々カオス。

435名無しさん@お腹いっぱい。2013-09-26 04:40:52

>>434

そうなんか。陸奥もあと少しだけでも寿命が長ければ日本史も変わっていたかもね。

陸奥死後の伊藤の政権運営は正直グダグダだったし、憲法も改正できないまま伊藤も死んじゃうからな。

陸奥が早死することでの日本国の損失は大きかった。

438名無しさん@お腹いっぱい。2013-09-27 23:50:36

>>435

個人的には伊藤と陸奥はセットが一番だと思う。

伊藤はコツコツ準備するのは上手いし、人と人との間を取り持つのも上手いけど

準備や根回しに気を使い過ぎて優柔不断になったりグダグダになる事も結構多いんだよね。

逆に陸奥は行動力あって、難題は華麗に解決するが

空気読めないハイスピードで一人突っ走り、誰も付いて来てないと一人激怒してる事多過ぎる。

伊藤と陸奥がセットで動く時は、互いに欠点をうまく埋め合えてる気がする。

450名無しさん@お腹いっぱい。2013-10-23 02:23:34

で、井上が入って松方が入らない理由は?

452名無しさん@お腹いっぱい。2013-10-23 23:02:43

>>450

とりあえず、長州限定とか

467名無しさん@お腹いっぱい。2014-01-23 00:02:26

山縣有朋好きだけど、好きって言ったら怒られそうな雰囲気でいえないときが有る。

470(・_・)2014-03-29 18:05:54

>>467

<韓流フランス革命>が合併の「大原因」。

朝鮮半島は17Cにはフランス人宣教師が布教してて、

その影響で半島各地で朝鮮流フランス革命が勃発し、末期に激化してた。

そこで「バカな朝鮮国民達よ、イルボン向いてホーイ!」って遣ったのが

東学党の乱の時に成功し、31独立運動でほぼバカだけ日本人攻撃に移った。

李完用等と締結した合併の条件を見ると<王家の保護>に力を入れ捲っている。

伊藤博文は、強固な合併反対派トップ。

同じく合併反対の曾祢朝鮮総監が、1910年に急に胃の具合が悪くなり急逝。

両方とも、合併に強く反対してて、日本に潜って革命回避できない。

だから、人の良さそうな、朝鮮人の本性を余り知らない山縣有朋に擦り寄った

彼らの性格や行動パターンからして、その様に見えます。

で、世話になるとその人を貶す、それも彼らの常。

475名無しさん@お腹いっぱい。2014-04-02 10:49:54

>>470-474

戦争に負けて自分が間違っていたと反省して

原爆落としたカーチス・ルメイに勲章を与えた昭和天皇の悪口を言うんじゃねえよw

525名無しさん@お腹いっぱい。2016-01-06 12:36:18

元老てのは幕末の動乱を

生き抜いてきたサムライ政治家たちだろ。

最後の元老西園寺公が

いなくなってから

誰も軍官僚の暴走を

止められなくなったのは

事実。

江戸時代の侍教育を

見直すべきではないか。

527名無しさん@お腹いっぱい。2016-04-09 08:03:33

>>525

西園寺も止められていない

山形が死んでから。

529名無しさん@お腹いっぱい。2016-04-12 23:16:20

>>527

単純な身分制度のサムライだからではなく

使命感の強い「志士」だったんだよ

志に殉じた

元勲たちは真のラストサムライなのだ

まあ最後のほうはややあやしくなってくるが

531名無しさん@お腹いっぱい。2016-04-22 18:59:22

>>529元勲たちは真のラストサムライなのだ

まちがいなく、元勲どもはうまく立ち回ったにせサムライなのだ

532名無しさん@お腹いっぱい。2016-04-25 00:38:32

>>531

感情論乙

会津信者君が認めたくない気持ちはわかるけどね

537名無しさん@お腹いっぱい。2016-07-12 00:31:53

しかし伊藤博文は、軍務以外で人を殺したことがある唯一の総理大臣だぜ(黒田の妻殺しは噂の域を出ない)。

539名無しさん@お腹いっぱい。2016-07-12 14:17:08

>>537

しかしそれも渋沢が言っただけやろ?

別に事実でも構わんけど

後は英国公使館焼討ち事件とかな

565名無しさん@お腹いっぱい。2017-04-27 14:58:10

1950年トヨタ自動車が経営危機に陥った時の対応

結束の住友(大阪銀行名古屋支店長・小川邦彦)

「機屋(豊田自動織機)に貸せても、鍛冶屋(トヨタ自動車)には貸せない」

組織の三菱(三菱銀行)

「中日本重工業と競合しているので潰れてしまえ」

人の三井(帝国銀行取締役・三井高長)

「販売強化のために販売会社を分離するなら緊急融資に応じよう」