司馬遼太郎 Part5

1無名草子さん2016-12-01 04:10:05

司馬遼太郎全集を重箱の隅をつつきつつ読み進めてまいります。

ただいま「国盗り物語」が進行中。

前スレ

司馬遼太郎 Part4 ©2ch.net

2無名草子さん2016-12-01 04:12:46

>>1乙であります

3無名草子さん2016-12-01 04:13:56

>>1乙でした

6無名草子さん2016-12-01 04:16:57

>>1

乙でござる。

59無名草子さん2016-12-03 00:37:13

★加納城

▽揖斐光親

美濃守護・土岐氏一族。父は土岐政房。子がなかった揖斐氏当主・基信の養子として美濃・揖斐城主となる。

※揖斐五郎:加地健太郎

219無名草子さん2016-12-07 18:34:40

▽土岐頼栄

作中では、土岐小次郎頼秀とされている。猪法師丸。土岐頼芸の嫡男。正室は稲葉一鉄の娘。

斎藤道三の讒言から父と不和となり、叔父・揖斐光親〔>>59〕らと結んで争う。これは尾張・織田信秀の尽力で和解するが、後に廃嫡された。

※土岐小次郎頼秀 / 亀谷雅彦

540無名草子さん2016-12-18 11:21:24

稲葉一鉄の曾根城を揖斐川に沿って北上すると、揖斐五郎光親の揖斐城がある〔>>59〕。

東隣する糸貫川の上流に、文殊城がある。

107国盗り物語2016-12-05 19:50:32

第51章 わが城

「おぬしは天下の岡部又右衛門ではないか。たかが一国の小守護が来たからといって、居ずまいをただす必要はない。わしは一代で死ぬ。おぬしの仕事は百世に残る。どちらが上か」

138無名草子さん2016-12-07 00:41:42

★別府城

▽木下闇

原作では「木下闇」との戦いになっていたが、TVドラマでは下柘植次郎左衛門になっている。

『梟の城』は伊賀忍者が秀吉の命を付け狙う物語であったが、伊賀討伐を行った信長の命を狙わないのは不自然ではないか、という批判があった。

大河ドラマでは、信長を飛び越えて、下柘植次郎左衛門は斎藤道三の命を狙う。

その弟子である葛籠重蔵は、信長の命を狙う。

小説・ドラマともに、不自然である。

※下拓植次郎左衛門:伊藤雄之助

147無名草子さん2016-12-07 01:36:15

>>138

木下闇の挿話を『梟の城』に置き換えたところは、秀逸だと思ったけど。

360無名草子さん2016-12-12 09:37:38

>>147

>木下闇の挿話を『梟の城』に置き換えたところは、秀逸だと思ったけど。

木下闇を下拓植次郎左衛門に置き換えてないから、秀逸でも何でもない。

知ったかぶりするな!

211無名草子さん2016-12-07 17:51:13

★霊巌寺

▽木下闇

薄あばたのある平凡な三十男の顔があらわれた。

※伊藤雄之助さんの顔は平凡ではないw

358無名草子さん2016-12-12 09:32:58

>>138

>>147

>>211

下拓植次郎左衛門は斎藤龍興の命令で信長暗殺を目論んでいた。

下拓植次郎左衛門は、この場面には登場しないよ。

214無名草子さん2016-12-07 18:07:47

★紙屋川

▽天神川

京都市を流れる淀川水系の一級河川。江戸時代までは紙屋川の名が一般的であった。古くは西堀河と称した。「天神川」の名は、中流で北野天満宮の西を流れていることによる。

244無名草子さん2016-12-08 18:49:23

▽織田信秀

この小説では、織田信秀は土岐小次郎頼秀に加勢して美濃に兵を繰り出しているが、史実では、頼芸と頼秀(頼栄)のあいだを周旋して、和解の斡旋をしている〔>>219〕。

265無名草子さん2016-12-10 21:37:03

★鵜飼山城

▽土岐頼秀〔>>219〕

▽鵜飼山城

岐阜市御望。土岐頼芸の重臣・村上芸重が鵜飼山城主であったと記録に見える。頼芸に重用され出世していった斎藤道三に対して譜代の重臣たちは快く思っておらず、度々道三についての讒言をしたところ、逆に道三によって兵を差し向けられて鵜飼山城に立て籠もった。

これについては、近江の六角氏や越前の朝倉氏らが間に入り和睦が成立し、この時以降剃髪して道三と号した。現在は御望山と呼ばれる。遺構は殆んどない。

241無名草子さん2016-12-08 18:38:15

テンプレ

【注意】このスレッドでは、司馬作品をリアル且つ忠実に画像化しているため、エログロ画像が含まれています。18才未満の方あるいはご覧になりたくない方は、〈エログロ〉をNGワードに登録なさることを推奨いたします。

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251無名草子さん2016-12-08 19:31:09

>>241

次スレの>>1に入れておきます。>>1であればNGワードが消えませんので。

257無名草子さん2016-12-10 21:00:36

★稲葉山城

▽安藤伊賀

安藤守就(もりなり) / 文亀3年(1503年) – 天正10年(1582年)

美濃北方城主。稲葉良通や氏家直元らと並んで西美濃三人衆と称された。

264無名草子さん2016-12-10 21:28:31

▽稲葉一鉄

稲葉良通(よしみち) / 永正12年(1515年) – 天正16年(1589年)

美濃国曽根城主。西美濃三人衆筆頭。江戸幕府第3代将軍・徳川家光の乳母となり権勢を振るった春日局(斎藤福)の外祖父にあたり、養祖父でもある。

弘治2年(1556年)、道三と義龍の争いである長良川の戦いにおいては、義龍に味方した。

※稲葉一鉄 / 菅沼赫(かく)

272無名草子さん2016-12-11 00:11:02

>>265

>この時以降剃髪して道三と号した。

この小説では、斎藤山城守利政に改名したことになっているね。

542無名草子さん2016-12-18 11:30:36

鵜飼山城は、鷺山城の北西〔>>265〕。

鵜飼山城・文珠城・大桑城の三点の間に、国島将監・彦坂蔵人・芦敷左近の名が見える。

266無名草子さん2016-12-10 21:58:31

▽村山出羽守

村山芸重のこと。出羽守ではなくて越後守である。

天文10年(1541)、斎藤利政と戦になるところであったが、尾張の織田信秀、近江の佐々木定頼、越前の朝倉義景などが美濃に入って仲介し、和睦した。

この混乱の後、太郎法師(土岐頼秀)は廃嫡され、頼芸の弟・土岐頼満は毒殺され、翌年、頼芸の大桑城は攻められ頼芸は追放される。

※重要な役柄であるにもかかわらず、大河ドラマでは配役がない。テレビ東京版は楠(くすのき)年明。

268無名草子さん2016-12-10 22:17:28

▽平手政秀

尾張国春日井郡にあった志賀城の城主。五郎右衛門。延徳4年(1492年) – 天文22年(1553年)。

天文3年(1534年)、信長が誕生すると傅役となり、次席家老を務めた。

※平手政秀:田崎潤

287無名草子さん2016-12-11 01:29:46

▽和睦仲介者 – 平手政秀〔>>268〕

これまで>>244、>>265、>>266で指摘したように、織田信秀は和睦の周旋をしております。

344無名草子さん2016-12-11 23:56:59

▽平手政秀〔>>268〕

▽青山与左衛門

青山信昌…天文16年(1547年)没

通称の与三右衛門(よそうえもん)で知られる。与左衛門ではない。

292無名草子さん2016-12-11 02:33:22

平手政秀役の田崎潤さん

304無名草子さん2016-12-11 15:56:18

▽斎藤義竜

大永7年(1527年)、初代当主・斎藤利政(道三)の嫡男として生まれる。母は側室の深芳野。

現在16歳ということは、現在は天文12年(1543年)のはずだが、司馬遼太郎の計算では、天文11年(1542年)。

永禄4年(1561年)、左京大夫に任じられるが、同年の5月11日に急死した。享年35。後を子の龍興が継いだ。

※斎藤義龍 / 若林豪

305無名草子さん2016-12-11 15:57:54

>>304

>現在16歳ということは、現在は天文12年(1543年)のはずだが、司馬遼太郎の計算では、天文11年(1542年)。

ワロタww

天文12年(1543年):種子島にポルトガル人が漂着し、鉄砲が伝来する。

345無名草子さん2016-12-12 00:01:05

▽林秀貞

天正8年(1580年)没。通称は新五郎、佐渡守。

長年「通勝(みちかつ)」と伝えられてきたが、正しくは秀貞であり(『言継卿記』等)、松永久秀の家臣の林通勝と混同されたと考えられている。

ただ、子の林勝吉、孫の林勝久と、「勝」を通字としていることから、初めは通勝で、後に主君・織田信秀の秀の字を与えられ、秀貞と改名した可能性も考えられる。

350無名草子さん2016-12-12 00:23:30

▽織田因幡守

織田達広。のちに稲葉山の戦いで戦死した清洲三奉行の一人。

404無名草子さん2016-12-12 19:07:13

▽織田彦五郎

織田信友…尾張清洲城城主。尾張下四郡の守護代。実父は織田因幡守達広〔>>350〕。

清洲織田氏(大和守家)達勝(みちかつ)の養子となって清洲織田宗家を継ぐ。

362無名草子さん2016-12-12 10:41:11

>>358-360

私の勉強不足でありました。申し訳ございません。

539無名草子さん2016-12-18 11:17:09

中山道をさらに西へゆくと、北に軽海城がある。安藤伊賀の北方城は、この近辺のはずである〔>>257〕。

さらに西へゆくと、稲葉一鉄の曾根城が見える〔>>264〕。その南に、氏家卜全の名と大垣城が見える〔>>381〕。

384無名草子さん2016-12-12 15:39:11

永禄2年(1559年)、西美濃三人衆の一人である氏家ト全が大垣城に入城した。その間に斎藤龍興の命を受けて城の修築・拡張を行ったとされる。永禄10年(1567年)、織田信長に属して家臣となる。元亀2年(1571年)の長島一向一揆攻めの際に殿軍をつとめ、討死。

417無名草子さん2016-12-13 04:06:03

〈信長 – Kimg of Zipangu〉〈国盗り物語〉混成チームによる信長の傳役

林秀貞 / 幸田宗丸

平手政秀 / 田崎潤

青山与三右衛門信昌 / 児玉謙次

内藤勝介 / 塚本信夫…「帰ってきたウルトラマン」のMATの加藤隊長

434無名草子さん2016-12-13 13:22:38

★加納口の戦い

▽稲葉山城

天文16年(1547年)9月22日に織田信秀・朝倉孝景・土岐頼芸と斎藤道三との間で起こった合戦である。

『信長公記』によるこの戦いの経緯…兵が半分ほど引いたところへ道三が攻撃してきて、織田方は守備が整わず、信秀の弟・織田信康や信長の家老・青山信昌〔>>344/>>417〕など5千人が討ち死にした。

418無名草子さん2016-12-13 04:14:15

〈信長 – Kimg of Zipangu〉による尾張守護代

織田信賢 / 沼崎悠…尾張岩倉城城主。尾張上四郡の守護代。

織田信友 / 辻輝猛…尾張清洲城城主。尾張下四郡の守護代。

※父親は俳優の辻萬長

693無名草子さん2016-12-22 23:00:13

▽織田彦五郎〔>>404-405/>>418〕

▽坂井大膳

清洲城主であった尾張守護代・織田信友の重臣で、小守護代、守護又代とも呼ばれていた。

天文16年(1547年)、織田信秀が斎藤道三を攻めた加納口の戦いの際、清洲方が信秀の古渡城を攻撃した。その後、坂井大膳は坂井甚助・河尻与一と共に信秀の重臣平手政秀と交渉を繰り返し、翌年秋には和睦した。

※坂井大膳:鈴木瑞穂

634無名草子さん2016-12-22 14:11:06

▽信長

林佐渡守通勝(秀貞)→葬儀後、信行付の家老〔>>345-346〕

平手中務大輔政秀

青山与三右衛門〔>>344/>>434〕…故人のはずであるが、この小説には以後も登場する。

461無名草子さん2016-12-13 18:29:14

▽勘十郎

天文5年(1536年)- 弘治3年(1557年)

織田信行。名は一般に信行と流布しているが、自己発給文書では信勝、達成、信成(のぶなり)しか確認できていない。

※織田勘十郎:日吉としやす

463無名草子さん2016-12-13 18:43:58

>>461

日吉としやす君の画像があったよ。

遊星王子の写真の真ん中にいる誠少年が、日吉としやす君。

465無名草子さん2016-12-13 18:48:40

靴磨きの青年だってヒーローになれるんだ 。・゜・(ノД`)・゜・。

477無名草子さん2016-12-17 06:45:02

>>465

タイガーマスクのエンディング・ロールを思い出すな。

寒風吹きすさぶ夕暮れの街を、伊達直人少年が歩いているシーン。

543無名草子さん2016-12-18 11:31:38

>>540

文殊城は誤字だね。文珠城が正しい。

566無名草子さん2016-12-18 20:48:40

▽明智十兵衛光秀

享禄元年(1528年)生まれの光秀は、この年20歳。父は明智光綱(小説では明智頼高)。

577無名草子さん2016-12-18 22:17:05

>>566

明智光綱は、天文4年(1535年)という早い時期に死去している。現在から13年前である。

この小説でいうと、天文3年(1534年)が「中屋切れ」の大洪水の年であり、その翌年になる。

585無名草子さん2016-12-19 18:42:39

▽明智光安

天文4年(1535年)、家督を継いでいた兄・光綱が若くして亡くなると〔>>577〕、その子・光秀がまだ幼かったため、隠居していた父・光継に光秀の後見を命じられ明智家の家政を担った。

※明智光安 / 久米明

819無名草子さん2016-12-25 10:02:52

▽明智光安

天文22年(1553年)、入道して法名を宗寂と号する〔>>585〕。

光安は道三の外戚という立場であったために(小見の方の兄)義龍と対立し、弟・光久や三宅氏・藤田氏・妻木氏ら諸将とともに明智城に籠城する。

しかし、義龍に与する揖斐光就・長井道利らに攻められ、防戦空しく光久らとともに自害した。その際、子の弥平次光春に宗家嫡男の光秀を託して城を脱出させたという。

592無名草子さん2016-12-19 20:03:05

▽頓狂

いきなり間の抜けた振る舞いをしたり、調子はずれの声を出したりするさま。

「頓」 という字の元々の意味は「急激であること」。仏教では、教法の理解や修行などの段階的な深化を経ることなく、一挙に悟りに到達することを「頓教」という。

615無名草子さん2016-12-19 23:37:20

▽天文20年(1551年)3月3日

尾張と織田家をとりまく厳しい環境のなかで、織田信秀さん頓死〔>>592〕。

死因は、信秀の搭乗する航空機が、海へ逃れるゴジラを遮ろうとして逆に白熱光を浴びせられてしまい、島の雪山に激突したことによる。

620無名草子さん2016-12-19 23:57:57

▽天文20年(1551年)3月11日

小見の方が結核により死去。享年39。

※昔のタレントは十代でも色気ありすぎ!

>>615

書き忘れていた。織田信秀は享年42。

627無名草子さん2016-12-20 18:48:38

>>620

小見の方は、那那姫時代のロリコン庄九郎に悪戯されたときが絶頂期だったな。

それ以降は、ほとんど出番がなかった。

651無名草子さん2016-12-22 17:21:33

▽青山与三右衛門

おそらく与三右衛門の亡霊〔>>634〕

655無名草子さん2016-12-22 17:42:03

▽林佐渡守通勝(秀貞)

現在は信行付きの家老〔>>634〕

702無名草子さん2016-12-22 23:47:49

▽織田信光

織田信定の子、信秀の弟。守山城城主。通称は孫三郎。永正13年(1516年)- 弘治元年(1556年)。

織田信友の重臣・坂井大膳の誘いに応じるふりをし、天文24年(1555年)4月19日に清洲城に入城。翌20日、信友を謀殺して清洲城を奪い、大膳は今川義元の下に逃れた。

信光は信長に清洲城を渡すと、自身は信長より譲られた那古屋城に入ったが、弘治元年11月26日(1556年1月7日)に不慮の死を遂げた。

※織田信光 / 長谷川明男

740無名草子さん2016-12-23 19:54:32

▽織田信次

織田信定の子。通称は孫十郎。官位は右衛門尉。 天正2年(1574年)没。

兄の織田信秀に仕え、初め深田城主となる。

天文24年4月20日、清洲の織田信友〔>>404〕が信長によって滅ぼされ、兄の織田信光〔>>702〕が守山城から那古野城へ移ると、後任の守山城主となった。

※織田信次 / 菊池孝典(現・樋口隆則)

785無名草子さん2016-12-24 21:27:39

★稲葉山城

▽長井道利

美濃金山城主。通称は隼人佐。斎藤道三・義龍・龍興の斎藤家三代に仕えた重臣で、中濃・北濃方面を担った。

弘治元年(1555年)11月、義龍に接近して、道三の寵愛する義龍の異母弟・孫四郎・喜平次らの暗殺を提言し、義龍とともに2人を謀殺した。

永禄10年(1567年)、稲葉山城が陥落したため、龍興とともに長良川を下り伊勢国に逃れた。

※長井道利 / 森幹太(かんた)

814無名草子さん2016-12-25 09:41:13

▽桔梗紋の幟

822無名草子さん2016-12-26 21:48:07

>>814

水色桔梗は明智氏。

土岐氏は藍色桔梗。

888無名草子さん2016-12-29 14:08:15

★長良川の戦い

▽明智光安は去った。〔>>819〕

▽城田寺城

北野城に退いた道三は、明けて弘治2年(1556)1月、北野城から城田寺城へ移り、戦備を整え再び義龍と戦う。しかし、道三方に馳せ参じた者は義龍方の10分の1にも及ばなかったという。

道三方は敗北を喫し、城田寺城へ引き返すところを小牧源太・長井忠左衛門・林主水らに討ち取られた。

913無名草子さん2016-12-30 20:11:51

▽明智光安の最期〔>>819〕

長井隼人佐道利「という」者を大将にして3,700人の人数でもって明智城を囲み……。

まるで長井道利が読者の知らない初出の人物であるがごとき叙述であるが、彼は国盗り物語に登場済みである〔>>785〕。

875無名草子さん2016-12-29 09:56:02

▽藍色桔梗の旗〔>>822〕

890無名草子さん2016-12-29 14:18:21

▽小牧源太〔>>772〕

着物の襟元から垣間見えたお勝の半乳を見た美濃の勇者である〔>>769〕。

槍で道三の足を払う。

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